下田町について
 室町時代の1399年、「下田村若宮」と刻まれた鰐口が下田八幡神社に奉納されたのが、「下田」の地名がでてくる最初の例。
江戸時代初期、海の関所として幕府の遠見番所が置かれ、入津廻船3千艘といわれて繁栄。遠見番所廃止後は、風待ち湊や石材、薪炭などの集積地であり、廻船、漁業、造船などの産業があった。
 幕末、開国の舞台となり、米ペリー提督、露プチャーチン提督らの来航、吉田松陰の密航失敗、米ハリス総領事と唐人お吉など、様々なエピソードが生まれる。
昭和3年、十一谷義三郎「唐人お吉」、川端康成「伊豆の踊子」の発表などが下田観光の火付け役となり、昭和8年の東京湾汽船の客船就航、伊豆循環道路東海岸線伊東-下田線の開通により、観光ブームが到来。
 このサイトでは、主に大正時代〜昭和10年代の絵葉書を展示。当時の下田町の様子を紹介します。
  
分類 題 名 分類 題 名 分類 題 名
全 景  下田町全景 町 並  大横丁(1) 官公庁  賀茂郡役所
 下田灣頭  大横丁(2)  下田町役場
 下田全景、武ヶ濱  大工町通  下田警察署
 下田市街  花柳川端通り  下田區裁判所
  下田富士   海善寺門前通 学 校   下田尋常高等小學校
風 景  川口の景  相之山遠望  下田高等女學校(1) 
 和歌の浦より灣内 交 通  東京灣汽船 葵丸  下田高等女學校(2)
 辮天崎より見たる下田町  下田港へ上陸して  文理科大臨海實驗場
 エビス岬より市街  下田汽船発着所 病 院  長田病院
 馬鐵桟橋より川岸  下田橋  神社
・寺院
 八幡神社
 防波堤より波布神社  下田自動車株式會社   了仙寺と武山閣
 和歌の浦(1) 産 業  下田船渠株式會社 旅館
・料亭
 旅館平野屋
 和歌の浦(2)  造船所景  山田旅館
 大浦海水浴場  神子元燈臺遠望  下田温泉ホテル
 武ヶ濱海水浴場  伊豆製氷冷蔵株式會社  安直樓
 武山ヨリ見タル下田港  河津川水力電氣株式會社 芸 者  唐人お吉
 下田遊覧図  株式會社下田銀行  下田ぶし


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