神子元灯台遠望
「(下田名勝)神子元燈臺遠望」
大正時代頃。

「下田港外5浬、神子元島灯台は、昭和43年11月、現存する我が国最古の官設洋式石造灯台として、国の文化財(史跡)に指定された。この灯台に初めて灯が点じられたのは明治3年11月で、爾来100有余年、地震にも台風にも微動だにせず、休むことなく航海安全の灯を点じつづけて来たことは驚異に値することである。ペリー遠征記にrock islandと記され、この辺から伊豆半島へと暗礁が続き、所謂海嶺地帯で、その間を北上する黒潮が奔流するため、古来より航海の難所で多くの生命が奪われたところである。
 慶応2年、英、仏、米、蘭と日本の間に「改税約書」が調印せられ、輸入税が大幅に引き下げられるとともに、第11条によって、航行の安全をはかるため、要所要所に灯台や浮標を設置することがわが国に義務づけられた。
 神子元島灯台は、観音崎、剣崎、その他8ヶ所とともに指定され、英人技師ブラントン監督の下に、明治2年2月着工、翌3年11月竣功点灯となった。
 1本の樹木も生えていない荒海の岩礁に人力のみによって石造灯台を築くことが、いかに困難な事業であったかは、今日の想像を超えたものであった。当然、下田は工事基地だった。「明治2年諸御用日記」(下田町会所一般事務日誌)には関係事項が多いが、下田名主は、諸職人雇入れの斡旋から諸資材調達一切の監督を命ぜられ、わけても灯搭用の石材はエビス崎から切り出されたので、町役人はその監督に多忙を極めた。
 この神子元島灯台でとくに注目されることは、接着剤としてのセメントの代用に、火山灰と石灰岩が使用されたことである。前記の「明治2年諸御用日記」によれば、火山灰を稲取(東伊豆町)から、石灰岩を梨本(河津町)から、それぞれ神子元島に運び、そこで石灰で焼いて使用したことが記されている。」
(下田市の指定文化財概説・改訂版 第1集)
※「伊豆の自然第19号」(S44.12.1)でも詳しく解説されている。

建設中の神子元島灯台(九州大学デジタルアーカイブス)
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