弦歌さんざめく下田花街川端通り
「弦歌さんざめく下田花街川端通り」
 (下田名所全集・大正写真工藝所)
昭和初期。かつて夜の街として賑わった河端通り。
昭和33年4月の売春防止法施行により、紅燈は消えた。
現在でも、石倉やなまこ壁の町並みが残り、それなりの雰囲気が感じられる。
「電柱の埋設、路上駐車の禁止など、徹底した雰囲気づくり、景観への配慮が必要」(H12.3 下田地域観光地づくり推進プログラム・日本観光協会)とも指摘されている。

「下田港の情景はなんと云っても河口の船着場より坂下町大工町一帯の所謂河端の宵の情緒であらう。了仙寺の山門より花崗の太鼓橋を渡りて柳の並樹に、赤い提燈の河に映つたるなど、海の町と云う感じを失はぬ。大漁どてらを纏うて白粉臭き娘と睦まじげに語り合へるは若き漁夫の次のランデ・ヴーを約束してゐるものなるべく、或る家にて娘五人胸もあらはに化粧せる様の殊に目立ちて見ゆるも憎らしく、あのふくよかなニシヨン!表通る男性には何よりの魅惑なるべく、柔らかい気持を街全体に漂はしめる。場所柄とは云へ、立て膝にて××××もちらちらほの見ゆるなど、浮かれ男ならずとも、下田よいとこと云うなるべし。」
(「河端」蒲生素虎、『犯罪公論』第2巻第1号・昭和7年発行より)
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