相之山遠望
「(下田名勝)相之山遠望」
大正時代頃。現在の下田開国博物館附近。中央奥の山は相の山。右側建物、賀茂郡立下田高等女學校(旧県立下田南高等学校の前身)、その左隣、天理教會。下田平滑馬車駐車場から南伊豆蛇石を経て、松崎岩科に至る南街道の起点附近。

「私の父親は下田の紺屋町生れですが、仲木に養子に行ったのです。だから下田が好きで、何かあると下田に足を運びました。私はその父親につれられて四、五才頃から、よく下田に遊びに来ました。海が荒れて船が通わない時は、追剥の出るといわれる銭瓶峠を越え大賀茂からあいの山を登って下田に来たこともあります。あいの山は、下田を一望のもとに見おろす景色のいいところ、下田へ来る人は「やれやれやっと来たなァ」と思うし、下田を出る人は、「これが下田とのお別れだ」と思うようなところです。下田出るときゃア涙で出たが あいの山をば唄で越す という民謡があったと思うが、山路を登り峠を越す離郷の人の心が、しみじみと伝わって来るような気持がします。」(『明治の頃の下田』外岡松五郎、「三町目ものがたり」三町目三寿会・昭和43年発行より)

「下田出るときや涙で出たが、間の山をば唄で越す。(囃)ヤレ、山中通れば鶯が、梅の小枝に晝寝して、花の散るのを夢に見て、花さけ咲けと啼くわいなアエ」(下田ぶし)


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