下田船渠
「下田船渠株式會社」
昭和初期。明治31年3月、公有水面埋立及び開堀許可を得、同年9月、下田船渠合資会社設立。明治34年3月、「鼻黒」といわれる岬を切り込み、砂浜を埋め、石垣を築いてドックが作られた。
明治35年、株式会社に改め、明治40年まで営業したが、業績不振の為、明治41年2月、東京湾汽船株式会社に、向こう20ケ年ドックを賃貸する止むなきにいたった。その後、船舶大型化と関東大震災により、ほとんど無疵の下田船渠拡張は急務となり、大正14年4月、着工(大正15年1月完成)。同年9月、下田船渠株式会社(新会社)設立。旧下田船渠株式会社と澤村造船所の双方を引継ぎ、木工、鉄工、機械等を網羅する近代造船業として再出発した。
(参考:澤村久右衛門氏に聞く 下田港をめぐる南伊豆産業経済の変遷-明治百年史料@- 下田史談会編 他)

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