安直楼
「伊豆下田港 安直樓(お吉最後の料亭)」
(原色版下田史蹟唐人お吉繪葉書)
昭和初期。「唐人お吉安直樓跡 御料理・すし 壽し兼」。
横浜から下田に戻ったいわゆる「唐人お吉」こと、斎藤きちが安良里の船主亀吉の後援で、明治15-17年の間、経営していた料亭「安直樓」。
当時の繁華街、大工町にある。建物は現存しているが、現在、休業中。

「お吉とハリスの関係が、人口に膾炙されるようになったのは、ずっと後世になってからである。おそらくその口火を切ったのは、昭和三年(一九二八)、十一谷義三郎が『中央公論』に発表した「唐人お吉」であろう(翌年刊行)。ついで十一谷は、翌四年、「時の敗者唐人お吉」を『東京朝日新聞』紙上に発表し(翌年刊行)、さらに翌五年にその続篇を執筆するなど、一連の”唐人お吉”ものの小説を意慾的に書き続けた。これがきっかけとなって、映画に、演劇に、歌謡曲に、最初の”唐人お吉”ブームが巻き起こった。」(「唐人お吉」/吉田常吉、S41年)

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