靜岡聯隊一部南豆行軍(其六)
「靜岡聯隊一部南豆行軍(其六)」
大正時代頃。現在、東本郷の下田市役所附近。当時の本郷は、一面、田んぼ。左端に波布神社が見える。※波布神社の伝説(外部リンク)

「我々が少年のころ、わが郷土の部隊である静岡の第三十四連隊や三島の野戦重砲兵第二・第三連隊は、行軍でよくこの天城街道を往来した。そして湯ヶ野を中心に宿営し、或いは休憩した。
 歩兵も重砲も連隊全部ではなく、中隊もしくは大隊単位の行軍だった。歩兵は自動車に会えば、「前へ逓伝、自動車を通せ」あるいは「後ろへ逓伝、自動車を通せ」と、道をよけて通したが、重砲はなかなかそうはいかない。とくに車が追い越すときは、馬と大砲が狭い道にいっぱいに行進しているので、どうやら代われる場所を見つけて部隊が停止して、自動車を通すまでには一時間ぐらいのろのろと行軍のあとをついて、走る時がしばしばあった。旅客は閉口したが、ぐずぐず不平・不満を言う人もなかった。良い時代でもあり、また言えない時代でもあったということになろうか。
 演習のついでに郷土を見るという兵隊もおれば、休憩時に湯茶を施して兵士を慰労したという、心の通う暖かい風景も見られた。今からいえば夢のようである。しかし、その頃の兵事について記しておくのも、決して無意味なことではあるまい。」
(文学・伝説と史話の旅伊豆天城路/板垣賢一郎)

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