「下田柿崎玉泉寺ト米人ノ墓我國最初ノ領事館」
(マルヨ発行)
大正末期頃。
本堂は、まだ茅葺屋根。左の高台に米兵の墓が5基見える。
安政3年8月、オランダ人通訳ヒュースケンと中国人下僕を伴って玉泉寺に入ったハリスは、下田奉行との粘り強い交渉を行った。その間、お吉やお福などのエピソードも生まれた。
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